第75話    「庄内釣りの醍醐味 U」   平成17年09月11日  

黒鯛が釣れる前と云うのは不思議と何かしらの予感がある。それは長年釣をやっていて養われた予知能力かも知れぬが、第六感が働く事がある。

そんな時は決まって竿先に全神経を集中している。じっと待っていると手元に当たりが感じられなくとも、かすかに竿先に魚が餌を咥えたと思える当たりが手に取るように分かる。これはウキを使った釣では、味わえぬ感触でフカセ釣りならではの醍醐味である。

庄内釣りでは竿かざし(竿の扱い)と同様に潮の見極めも大切な要素となっている。竿と道糸の長さのみでハケを利用し、少量の撒餌を有効に使って魚を寄せて釣らなければならない。そのハケを使って如何にしてポイントまで届かせることが出来るかどうかの判断が求められる。その為大抵長さの異なる竿を持参している。その判断が出来る様になれば、一人前の庄内釣師の一員となる資格が貰える事が出来る。通称海面に出ている上バケは白い泡が岩場から沖に向かって出ている。その上バケは竿の届く範囲で消えているのかどうか(ハケ止まり)、それが強いかどうか?下に沈みこんだ底バケは果たしてどうなのか?その判断次第で撒餌が有効に利いているかどうかの分かれ道となる。魚を寄せている積りが、逆に沖側に魚を寄せてしまっては何もならない。ここら当たりの判断も素人釣師と玄人釣師の違いが出てくるところだ。ことに静凪の時にハケを見つけることは中々もって難しい。

若し竿先で撒餌が海底に沈み込めばしめたもので餌と撒餌が同調し、混然一体となり得る。そして餌の付いている糸が真っ直ぐになっていれば、待ち受けている黒鯛にとっては餌が点としか、映らないことになり釣れるチャンスも多いこととなる。点で魚に食わせると云う事は、ある意味落とし込みの要領と同じことのように思える。又、両者の一致していることは太仕掛けでも釣れて来ることでもある。この釣り方は、遠く江戸時代からの継承であり、その昔この合理的な釣り方を考えた人の事を思う時、背筋がぞっとするのを覚える。

難しい釣りほど、その釣り方で釣った一枚ほど得難いものはない。難しければ難しいほど挑戦のやり甲斐があるものだ。今の釣りは少しの挑戦で釣れてしまうという釣が多い。だから釣り人が多くなった。その結果、素人釣師が玄人釣師を負かす事も度々ある。運不運に左右される釣が大勢を占めているとしか思えない。

釣の面白さから云えば、同じ魚を釣る時に自分で釣れても可笑しくない環境を造り、釣れるべくして釣れる釣の方が面白い。自分で明日の釣行の天候を調べ、釣り場所を考えて、現場の潮を読みそして魚を寄せる為の撒餌を打ちそれが見事に当たった時の喜びは一塩である。釣れる、釣れぬは時の運と思っている連中とは一味も二味も違う釣である。世に釣の名人は多いが、名人と云われる人の多くは、ひたすらに勉強し潮を読むことにかけても名人でもある。撒餌と餌が潮に乗って何処で魚に食わせるかを頭にイメージして釣っているのである。

庄内釣りの今間氏はかつて新聞に寄せたコラムの中でこう書き記している。「庄内の伝統的な黒鯛釣の技法は、余りにも特殊な釣り方であるが故に、当時(筆者の若かりし頃)としては庄内の磯場で黒鯛を釣る為の参考となる文献は極めて少なかった。」しかしながら、現在でも文献を探しても殆んど探すことは難しい状況にあるのは同じである。釣の師について実際の釣り方を見て自分の体験を通して身体で覚えると云う体得型の釣法であるから本などを見て知り、頭で理解するのではないからである。千変万化する自然を相手にする訳であるから、何年もかけて実際の色々な場面に遭遇しコツコツと覚えていく。故に本などを見て理解したと思って一端の釣師を気取っている様なインスタント的な釣を好む釣り人では、決して庄内釣の奥の深さを覚えることは出来ない。

実体験でのみ理解が出来、消化出来るものが多いのであるから・・・・。明治初期の釣の名人臥牛氏等は、若かりし頃畳の縁をポイントに仕立てて寝ても起きても思うところに餌を落とすイメージトレーニングをした。又トイレの中でもイメージトレーニングを行い、余りにも出ないので家族の者に呼ばれふと我を取り戻したなどと云う数々の逸話が残っている。庄内釣りの醍醐味と称してコラムを書いては紹介して見たが、その奥の広さは文章等ではとても書き記すことは出来ない。